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佐賀地方裁判所 昭和58年(行ウ)1号 判決

原告

社会福祉法人めぐみ厚生センター

右代表者理事

栗林ミサ

右訴訟理人弁護士

元村和安

被告

佐賀県地方労働委員会

右代表者会長兼訴訟代理人弁護士

堤敏介

右指定代理人

飯盛邦尚

溝上進治

浅川芳雄

森弘明

被告補助参加人

総評・全国一般労働組合佐賀地方本部

右代表者執行委員長

原田克巳

定松善次

右補助参加人ら訴訟代理人弁護士

杉光健治

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が佐労委昭和五七年(不)第一号不当労働行為救済申立事件について昭和五八年二月二四日付でなした命令を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  補助参加人総評・全国一般労働組合佐賀地方本部(以下「総評佐賀本部」という。)は、昭和五七年四月一日被告に対し、原告を被申立人として不当労働行為救済の申立をなした(佐労委昭和五七年(不)第一号不当労働行為救済申立事件)ところ、被告は、昭和五八年二月二四日付で右申立事件について、「被申立人は、申立人組合の組合員定松善次を昭和五七年四月一日付けで嘱託職員にするとともに、定松善次に対し、同日から嘱託職員として就労させるまでの間に同人が受けるはずであった諸給与相当額を支払わなければならない。」との命令(以下「本件命令」という。)を発し、同命令は同年三月九日原告に送達された。

2  本件命令は、原告が補助参加人定松を採用するについて、昭和五七年四月一日から嘱託職員として採用することを約束したという事実認定を基礎としてなされたものであるところ、原告は、補助参加人定松を昭和五六年一〇月一日から翌五七年三月三一日までの間の臨時指導員として雇用したにすぎず、嘱託職員として採用した事実はなく、右雇用契約期間の満了によって原告と補助参加人定松との雇用関係は終了したというべきであるから、本件命令は、誤った事実認定を基礎として原告の不当労働行為を認定したものであって、違法である。

3  よって、原告は、本件命令の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は、否認する。被告が本件命令において認定した事実及び判断に誤りはない。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件命令の基礎となった事実関係について検討する。

(証拠略)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。

1  原告は、昭和二七年七月三〇日に認可を受けた社会福祉法人で、肩書地において児童福祉法上の精神薄弱児施設であるめぐみ園(以下「めぐみ園」という。)を、佐賀郡富士町に精神薄弱者福祉法上の精神薄弱者更生施設である富士学園をそれぞれ運営しているものである。めぐみ園には、昭和五六年当時栗林ミチ園長、若林興三事務部長、諫山眞司療育部長ほか約四〇名の職員が雇用されていたが、その中には佐賀地方同盟に所属するめぐみ園職員組合加入者が約二〇名いた外に次に示すめぐみ園職員労働組合に加入する者が五名いた。

めぐみ園職員労働組合は、昭和四八年五月一日、めぐみ園労働組合として結成されたもので、昭和五三年二月七日にはめぐみ園職員労働組合と改称され、さらに昭和五七年三月一六日には、補助参加人総評佐賀本部に加盟してその分会となったところ、めぐみ園当局との間で、昭和四八年以降解雇、団体交渉等をめぐって被告に不当労働行為救済申立等がなされるなど従来から労使紛争が絶えなかった。

2  めぐみ園では、昭和五六年六月に二人、同年八月中に一人の正職員が続いて退職することになっていたので、栗林園長は、同年六月ころめぐみ園の保護者会の副会長である光石多都子にめぐみ園への就職希望者を探してもらっていたところ、同人は、叔母である補助参加人定松の実母定松マツから補助参加人定松の就職の世話を頼まれていたので、定松マツを通じてあるいは直接補助参加人定松に、補助参加人定松がめぐみ園の職員になることを勧めた。

補助参加人定松は、昭和五年一二月一八日生まれで、昭和二九年に福岡商科大学を卒業し、銀行等に勤務するなどした後、昭和五四年ころから太陽熱温水器の販売及び住宅建築資金借入手続の代行の仕事をしていたものであるが、めぐみ園の職員を募集の話を聞いて、めぐみ園に採用面接に行ってみることにし、同年九月三日光石多都子のいとこである光石和敏(昭和三二年三月一四日生)とともに、めぐみ園に採用面接に赴き、園長室において、栗林園長と若林事務部長から光石和敏と一緒に約一時間程度の面接を受けた後、めぐみ園の園内を見学した。

3  右面接の際、若林事務部長は補助参加人定松に対し、「年度末じゃないと本採用はできません。しかし、定松さんは高齢であるし、家族もあるので、一二月末に一応県に申請してみましょう。これは多分無理でしょうが、四月一日からは大丈夫です。但し、定松さんは高齢だから嘱託になるでしょう。」と述べ、さらに、めぐみ園の職員には正職員、嘱託職員、臨時職員の区別があること(各種職員の採用条件、採用後の処遇等は、別紙一覧表記載のとおりである。)、正職員及び嘱託職員には各種社会保険の適用があること、通勤手当及び住宅手当等の各種手当がつくこと、各種職員の勤務時間及び三交替の勤務割などについての説明を行った。

また、補助参加人定松及び光石和敏は、ともにキリスト教、福祉施設等を内容とする作文の作成を課され、両名とも帰宅後これを完成させて後日めぐみ園に郵送した。

4  その後補助参加人定松は、めぐみ園からの呼出しに応じて、同年九月二五日再度めぐみ園に出向き、栗林ミサ理事、栗林園長及び若林事務部長から二度目の面接を受けたが、その際、若林事務部長らから、昭和五六年一〇月一日から昭和五七年三月三一日までの間めぐみ園の臨時指導員として勤務する旨の別紙のとおりの記載のある承諾書と題する書面への署名を求められ、これに署名、押印したうえ提出した。なお、右光石和敏も補助参加人定松同様昭和五六年九月二五日に二度目の面接を受けたが、その際同一様式の書面への署名、押印を求められ、これに応じて署名、押印したうえ提出しているし、同月一五日からめぐみ園に勤務を始めた中村政則も同様の書面をめぐみ園に提出している。

5  補助参加人定松は、同年一〇月一日から、めぐみ園に臨時指導員として勤務し始めたところ、同年一二月には、それまでめぐみ園に勤務しながら営んでいた温水器販売の仕事をやめた。また、同年一二月には諫山療育部長から光石和敏と共に忘年会兼歓迎会に招待されるという出来事もあった。

補助参加人定松は、めぐみ園において、勤務時間中に考え事をして目を閉じていたこと、指導員室で度々たばこを吸っていたことなどがあったものの、欠勤、遅刻その他の目立った非違行為はなく、勤務態度について上司から注意を受けることもなかったところ、同年一二月ころからめぐみ園職員労働組合の組合員と親しくなり、昭和五七年二月一日には同組合に加入するに至った。

6  諫山療育部長は、同年二月一九日、補助参加人定松をめぐみ園の当直室内に呼び入れ、同人の了解を得てドアに鍵を掛けた後、「木原先生をどう思いますか。黒田先生をどう思いますか。」と言って、めぐみ園職員労働組合の副分会長及び分会長の名を告げて補助参加人定松の反応を確かめると、同人が「別にいい人ですよ。何とも思いませんよ。」などと答えたので、それ以上同人に深く聞くことをしなかった。

7  栗林園長及び若林事務部長は、同月二七日、補助参加人定松をめぐみ園の園長室に呼んで同人に対し、栗林において、三月三一日で契約期間が満了するので雇用関係を終わらせてもらいたい旨、若林において、四月以降の雇用は、資格、年齢についての県の指導が厳しくなっておりできない、これまでの契約内容でよければ三か月ないし六か月間更新してもよい旨告げた。補助参加人定松は、「面接のときのように四月から本採用して下さい。」、「もう少しで厚生年金の受給資格ができるので楽しみにしてたのですがね。」と述べてその場を去った。

補助参加人定松は、その後佐賀県からの行政指導の有無等について調査をした後、同年三月五日、再度栗林園長及び若林事務部長に対し、本採用をするよう求めたところ、栗林園長は、若林事務部長がした三か月ないし六か月の契約更新をしてもよいとの提案は撤回する旨返答した。

8  めぐみ園では、年度途中で職員に欠員が生じた場合、新規採用者をまず臨時職員として採用し、翌年度始めに再度の面接、記述試験等の特段の手続を経ないままに正職員ないしは嘱託職員として採用していることが多く、前記光石和敏及び中村政則も補助参加人定松同様に臨時職員として採用されたもので労働組合には加入していない者であるが、右両名の場合は雇用関係終了の予告も受けず、かつ正職員となるための試験を受けることもなく昭和五七年四月一日から正職員として採用されている。

9  めぐみ園職員労働組合では、めぐみ園に補助参加人定松の解雇問題について昭和五七年三月六日団体交渉の申し入れをし、同日以降同月三〇日までの間計八回にわたって団体交渉をしたものの、園側は、補助参加人定松を臨時職員として採用したものであるとの主張を繰り返すばかりで、同人の仕事振りなり人間性なりを雇用できない理由としてあげることなく、団体交渉が結局物別れに終わってしまったので、補助参加人総評佐賀本部は、前示のとおり同年四月一日佐賀地方労働委員会に不当労働行為救済申立をした。

以上の各事実が認められ、(人証略)中右認定に反する部分(特に、めぐみ園は、補助参加人定松を昭和五七年三月三一日までの臨時職員として採用したのであって、同年四月一日以降嘱託職員として採用するつもりはなかったとの部分)は、その余の前掲各証拠に照らしてにわかに措信しがたい。

三  以上の認定事実をもとに、まず、補助参加人定松と原告との間で昭和五六年九月二五日になされた雇用契約の性質について検討するに、前記の認定事実、特に第一回面接時における若林事務部長の発言内容は昭和五七年四月一日以降補助参加人定松を嘱託職員として本採用する趣旨に理解できること、一連の採用手続において補助参加人定松と光石和敏との間に差異が認められないこと、めぐみ園における年度途中の採用者は年度始めになるまでは臨時職員として処遇するという採用形態が常態化していたことからすると、原告は、補助参加人定松との間で当初より期間の定めのない労働契約を締結したが、昭和五七年三月三一日までの六か月間は新規採用者の労働能力の適否を判断し、不適格と認める場合には正職員あるいは嘱託職員として採用しないという形式で一方的に雇用関係を解消しうる権限を留保したものと考えるのが相当である。もっとも、前記認定のとおり補助参加人定松は昭和五六年九月二五日に園側の指示により別紙のとおりの記載内容の承諾書に署名、押印してめぐみ園に提出しており、その第一項の文言は一見右認定に反するとの疑念も生じかねないものの、ここには「臨時指導員として」の限定があり、また光石和敏及び中村政則も同様の承諾書を提出していることに対比して考えると、右認定を覆すに足りない。

四  そこで、原告が補助参加人定松との雇用関係を解消したことが不当労働行為に該当するか否かについて判断する。

前記二において認定のとおり、従来からめぐみ園とめぐみ園職員労働組合との間では労使紛争が絶えなかったこと、補助参加人定松がめぐみ園職員労働組合に加入した日の一八日後である昭和五七年二月一九日に、原告の幹部職員である諫山療育部長が補助参加人定松と同組合との関係についてさぐりを入れるような発言を自ら密室を作り出すという異常な状況で行っていること、さらにその八日後に栗林園長及び若林事務部長から補助参加人定松に対し、三月三一日までに契約期間が満了するので雇用関係を終了したい旨の告知がなされていること、労働組合に加入していない光石和敏及び中村政則は両名とも同年四月一日に正職員として採用されていること、補助参加人定松の勤務態度等に熱心さに若干欠ける点があったにしても、この点を上司が同人に注意をしたことがなく、めぐみ園側は補助参加人定松本人にこの点を雇用できない理由として告げていないばかりか、昭和五七年三月六日以降のめぐみ園職員労働組合との団体交渉に至っても、この点を雇用できない理由として掲げていないことからすると、補助参加人定松の勤務態度等を同人の雇用を解消した真の原因とみることはできず、原告は、補助参加人定松がめぐみ園職員労働組合に加入したことの故をもって、同人に不利益な取扱をしたものと推認せざるをえないのであって、この認定を覆すに足りる事実は、本件全証拠によっても認めることはできない。

右のとおりであるから、原告が補助参加人定松を昭和五七年四月一日以降嘱託職員としなかったことは不当労働行為に該当するものといわねばならない。

五  以上のとおりで、本件命令に原告主張の違法はなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用(補助参加によって生じた費用を含む。)の負担につき民事訴訟法八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 森林稔 裁判官 池田和人 裁判官 甲斐哲彦)

別紙 承諾書

1 昭和56年10月1日から昭和57年3月31日まで臨時指導員として、めぐみ園に通勤で勤務する事を承諾します。

2 勤務内容として園生の指導業務及び雑務に従事する事を承諾します。

3 勤務時間については始業前の上長の指示により、ABC、何れの勤務帯にも応ずる事を承諾します。

4 手当は1日当り3,930円の日給計算であり月末に受理する事を承諾します。但し、実働7.5時間の場合の日給であり、7.5時間に満たぬ場合は、524円/1時間の時間給を承諾します。

5 勤務中は服務上の諸規定に従って勤務する事を承諾します。

6 健康診断等により、伝染病、その他業務に支障を来す疾病があると診断された場合臨時指導員として採用期間中であっても採用解除される事を承諾します。

昭和56年10月1日

氏名 定松善次〈印〉

めぐみ園々長 栗林ミチ殿

一覧表

〈省略〉

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